「幻之介様ぁ、もう、許してくださいようっ」
白菊が、涙目で駆け寄ってきたものだ。
三日ぶりに社に顔を出した二人を待ち受けていたのは、疲れきった表情を見せた白菊であった。
「私に子守は向きませんようっ」
完全に泣き落としの様相を見せる白菊に、幻之介は堪らず笑みを零していた。
「すいません……、うちの子供らが……」
だいぶ血色の良くなった母親が、奥からひょっこりと顔を出した。
「少しは体調が良くなったようじゃねえか」
勘解由の言葉に、母親は頬を赤らめた。
「その節は大変ご迷惑をおかけしまして……」
母親は座りなおして、深々と頭を下げたのだった。
自らを『多喜』と名乗った母親は、早速とばかりに二人に手料理をふるまった。一気に賑やかな雰囲気に包まれた奥座敷。和んだ空気の中で、幻之介はこう切り出していた。
「お多喜さん、この社にずっと住みこんでは頂けないでしょうか?」
その幻之介の言葉に、多喜は「滅相もない」断りを入れた。
だが、幻之介の熱心な説得と、「大事な社の守りが必要だ」と言う勘解由の言葉に渋々ながらも肯いたのだった。
「ただ……。私なんかで、他の村の者たちが納得するんでしょうか……」
心配そうに言う多喜。
「それには、彼等に認めて貰えるように実績を積むしかないでしょうね……」
そう言いながら、幻之介は笑って見せた。
はあ……、とため息を漏らす多喜。
その多喜に対して、幻之介の手ほどきが加えられていった。
薬草の知識・使い方、道具の手入れに至るまで……。少しずつ、彼女が分かるようになるまで、根気よく続けられていったのだった。当然、薬棚にも工夫が施された。多喜自身が使いやすいようにと、入っていた順番もすべて変えられたのだった。うろ覚えの部分は、子供たちの相手の隙間を縫って白菊が口を出していく。
一週間も過ぎぬうちに、多喜はそこそこ幻之介の助手ができる程度にはなっていった。
そんな頃、荷車を引き連れた松次郎が戻ってきた。
「叔父上、御所望の物、準備整いました」
荷車数台に振り分けられた荷物。その人足の多さに村人たちもそっと戸口から伺い見ていた。
勘解由の号令の元、人足達は手際よく社のそばに小屋を建てた。一部の荷物は社の中へ運びいれられたものの、その大半はその小屋の中に納められたのだった。
「大した量にはならなかったがな。取り敢えず、かき集められるだけはな……」
幻之介を伴って勘解由はその小屋を訪れた。その外ではすでに、人足達が炊き出しを始めていた。
小屋の周りには、旨そうな香りが立ち込めていた。
「兵糧の一部さ……。まあ、そう量があるっていうわけじゃないがな……」
病を患っている者たちの多い村のこと。中にはまともな食事にありつく事も出来ない者たちが多数いたのだ。
「おめえの作る薬と、この兵糧。取り敢えず、春先までは何とか食いつなげるだろう」
元々が農耕よりも狩猟で生計を立てていた山村である。ある程度、動ける者が増えてくれば生活はより安定してくるはずなのだ。
「勘解由様――。でも、これは……」
心配そうに見つめる幻之介の頭を、勘解由は優しく撫でつけた。
「屋敷の蓄えの一部だ。別に、どっかから徴収したってものでもねえ。ここんとこ、豊作が続いたところが多かったからな……。余剰分ってことさ」
凶作の事も考えて、備えてあった備蓄の一部を勘解由は持ち出させたのだった。いつ戦の始まるともいえぬ時勢化での、備蓄と言う名の隠し食糧。ある程度部下を抱えている者としては、当たり前の蓄えだと勘解由は笑って言った。
「いざと言うとき、兵が餓えては使えんからな」
と、ごくさりげなく言い切る勘解由。
そうは言っても、これだけの食料を動かすともなれば、相当な手配もいったはずなのだ。
幻之介はただ、勘解由に抱きつくしか思いつかなかった。
「すいません……。私のわがままの為に……」
ふと込み上げてくる涙。
幻之介は、勘解由の胸元に顔を埋めていた。
最初、村人たちの多くは遠巻きに眺めているだけだった。先に動き出したのは子供たち。幻之介も給仕側に回っていた。子供たちに触発されるように動いたのは村の女ども。自ら給仕の手伝いを申し出る者もいたほどだった。
子供たちの一部は、多喜の子供たちと一緒になって白菊を追い回し始めた。飛び交う子供たちの笑い声。今まで意味も分からずに交流を絶っていただけなのである。一部の大人たちはそれでも、あまり良い顔をしない者もいた。だが、幻之介の手前、あからさまな差別もできないようであった。
人足達に交じって、あの初老の男も手伝いをしていた。が、こちらは平静を装って多喜と共に子供の世話をしているのだ。それを幻之介は優しい目つきで見守っていた。
そんな中で、幻之介は意識して多喜に用を言いつける。少しでも村人たちに意識付けさせようと言う魂胆なのであった。今まで差別を続けていた風習を一気に取り払うことは不可能である。和気あいあいとした間柄になるまでは相当の時間を要するであろうが、彼女の存在を受け入れさせることは出来るはずなのだ。彼らの中にある、白菊に対する畏怖が、幻之介の行動に拍車をかけることになった。
子供たちの前では無邪気に振る舞う白菊が、少しでも差別行動を取る大人たちには容赦ない威嚇を与えるのだった。先に子供たちの間にあった壁が少しずつ小さくなっていった。
数日にわたって行われて炊き出しは、ほんの少しずつではあったが子供たちの間の溝を埋めていったのである。村の子供たちと多喜の子供たちが楽しそうに遊んでいた。開け放たれた社の扉。そこには幻之介と勘解由が並んで座っていた。奥では多喜が幻之介の教えのままに薬臼を挽いている。時には子供たちに交じって松次郎も戯れているのであった。
幻之介はその光景を、勘解由に寄りかかるようにして眺めていた。子供たちからもたらされる情報は貴重なものが多かった。無理に口をつぐんでしまった大人たちとは違って、自分が見た事、感じた事を素直に伝えてくるのだ。一人一人の話す内容は微々たる情報でしかないが、少しずつ貯まっていった話は病流行の全容を幻之介に伝えていったのだ。
情報が集まるにつれ、幻之介は多喜に作らせる薬草の調合を変えていった。原材料とは別に、調合された十数種類に及ぶ薬。それを多喜は薬棚にしまった。それらは全て幻之介の指示のもと、多喜が自ら作っていったものであった。
いつも通り、幻之介たちが村を離れる刻限に迫った時――。すっかり馴染みになっていた子供の一人が、血相を変えて社に飛び込んできたのだった。
「母ちゃんが……、母ちゃんがぁ……」
涙声となった子供の話は要領を得なかった。
困惑する幻之介を尻目に、多喜の息子がそのこと幻之介の間に割って入ったものだ。
その時、女の絶叫が響いた。
まるで断末魔の様な叫び声。
多喜に子供らを預けると、幻之介は社を飛び出した。その背後から勘解由の制止する声が聞こえたが、幻之介は止まらなかった。
目に飛び込んできたのは血塗られた女の体。その傍らには抜き身の刀を下げた男たちが七人程立っていた。
「ばかだなあ……。声出す前に仕留めねえから、気付かれちまったじゃねえか」
ギラギラとした目付きの男が言った。
「たっぷりの食料に、上玉付ときたもんだ。仕事のし甲斐があろうってもんだなあ」
今まさに、血糊のべったり張り付いた刀を担ぐように、別の男が言った。すでに男の視線は幻之介を値踏みしていたのだった。
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