暮れ――。己の表屋敷へ幻之介を連れて戻る途中の事。勘解由の上の中で、何かに怯えながら泣いていた彼の姿を思い出したのだった。
(あれは、何と言った――。あの言葉は……)
その時はただ、幻之介を安心させる為だけに返事をした。逆に、今その時の姿が思い出されるのであった。
幻之介が真に怯えていたモノの正体。
まざまざと思い出されるのは、今回の幻之介の姿。炎を纏ったまま気を失っていたにも関わらず、その想いが黒馬に乗り移っていたかのようにこの地に現れたと言う事実。
『私が鬼となって人々に危害を加える様な場合は――、殺して……』
泣き腫らした瞳で見つめる幻之介の顔が目の前に浮かんだ。
「あのさあ、白菊。……幻之介にとりついているモノって言うのは」
「取りついている訳ではない。この方自身がそれに変わっていくのだ――」
「……どんな風に?」
「解らぬ……。我らに伝えられし事にも、それは語られてはおらぬ故――」
力を失った勘解由の問いかけに、白菊は淡々と答えを返していた。男達はそれをただ黙って聞いているだけ。
「その時って言うか……。鬼となった時、幻之介は――」
「お前が何を聞きたいのか……。解らぬわけではないがな、それに答える事は出来ぬぞえ、勘解由殿」
初めての名指しに、勘解由の表情は驚きに変わった。
「誰も知らぬ事――。この方自身でもな……。鬼と変わり果てた時、己自身の意識が保てるかどうかも知らぬ。それゆえ、不安なのだよ」
幻之介に姉のような優しい視線を投げる白菊の姿を、勘解由はじっと見下ろしていた。
「なれば、せめて我だけでも……。変わらずにこの方の傍に在るだけ……」
「好きなのか……、白菊」
白狐は返事もせずに、ただ幻之介を見つめ続けていた。
「我はこのままの姿で時を止めた。最後まで、この方と在る為だけに……」
呟く白菊の声。
勘解由は、無言のままその小さな体を抱き締めていた。
ぶるりと、身を震わせて幻之介は目覚めた。間近ではパチパチと火の粉の爆ぜる音が聞こえていた。小さくなってしまったその火種に、幻之介は薪を足した。火箸で炭と化した一部を掻き寄せながら、火種を少しずつ大きくしていく。僅かに煙を上げながら、徐々にその炎が大きく変わっていく様子を見つめていた。
「なんでえ、もうぉ起きちまったのか」
背後から男の声が聞こえた。振り返れば横たわった姿勢のまま、じっと見つめて来る顔。その布団の足元には白菊がうずくまるようにして眠っていた。
男はそって布団の端を持ち上げて来た。
「早く来い。寒いだろう……」
男の表情は変わらぬまま。
「あの……、でも」
新しい薪を得て、囲炉裏の炎は幾分大きくなっていた。
「俺が寒いんだっ」
その男の言葉に、幻之介は素直に布団の中に身を入れた。
「おめえの体も冷えちまってんぞ、幻之介」
ふわりと抱き込んで来た男の胸元へ幻之介は顔を埋めた。
「天気さえ良ければ、俺はあっちへ戻るが……。おめえはどうしたい?」
背中をさする男の手。
勘解由はなぜ自分がこの地に現れたのか、問いかけてはこなかった。
(聞かれても、答えられないんだけども……)
表屋敷が嫌になって飛び出して来たのだとでも思っているのだろうが――。理由を答えられそうもない自分自身に嫌気がさす程であった。
(ずっと、一緒にいたいのは……)
言葉にすることも出来ず、ただその顔を見つめれば優しい微笑みがかえってきた。
「ここならお前の全てを受け止めてくれる連中と、何の気兼ねもする事無く暮らしていけるだろう……」
そう、向こうの屋敷で己の正体を知る者は……。
「無理強いするつもりはねえ……」
目の前の男はそっと瞼に口付けをくれただけ。
「勘解由様は……、その方が良いと思うのですか……」
「俺にゃあ、解らねえことさ」
「……」
「ただなあ……」
「ただ――、何ですか?」
「今でも傍に居て欲しいって気持ちは変わらねえがな……」
「本当に?」
問いかける声が震えた。
「おめえが辛いって言うなら、ここに残れば良い。俺はそれでも構わねえよ。なあに、毎日顔合わせることは出来なくっても、暇作ってここに来れば良い事だからなあ」
抱き寄せる男の腕に僅かばかり力が込められるのを感じた。
幻之介は体をずらして己の顔を勘解由へと近づけた。掠める様に触れた唇。
「共に行っても構わぬのでしょうか?」
幻之介の言葉に、勘解由は照れたような表情を見せた。
「……良いのか、幻之介。なんだ、その……、無理してってんじゃなくてか」
小さな頷きを返すと、勘解由の唇が重なってきた。潜り込んでくる舌先の動きに、幻之介は素直に応じていた。薪の爆ぜる音に混じって湿った音が聞こえた。その音にすら、幻之介の肌は染まっていった。互いの体を抱きしめ合う様に、二人は口合わせの心地良さに浸っていた。
並び立つ黒馬に跨った二人。その黒馬二頭に威嚇を見せる白狐。その様子を見送りに立った男達が笑いながら眺めていた。
何を思ったものか、白狐は「私も行く」と言いだしたものだ。
流石の勘解由も、こればかりは頭を抱えた。
「白菊、お前なあ……」
呆れかえった勘解由。
白菊は、ひらりと幻之介の胸元に飛び乗った。
「幻之丞様……」
甘えた仕草で、幻之介に助けを求める白狐。
幻之介は――。
「勘解由様。一緒は、駄目ですか……」
幻之介の求めとなれば、勘解由に断る事は出来なかった。
「白菊、おめえっ」
二対の目が、じっと勘解由を見つめていた。
「解ったよっ。何とかすれば良いんだろうっ。ただし、解ってんだろうな、白菊っ」
「はいっ、それはもう。化ける事なれば、お任せあれっ。決して人前で人語は話すまいから……」
嬉々として尾を振る白狐。
「勘解由様、有難うっ」
幻之介も、明るく微笑んで見せたのだった。
「他の奴らも来るって云い出さねえうちになっ。行くぞ」
勘解由の声と共に、二頭は雪をまいあげる様に駆けだしていた。
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