勘解由は、大助が用意した水を飲み下しながら、流れ落ちる汗をぬぐい取っていた。それでも、視線は股間の幻之介から離れる事は無かった。
「そろそろ、上げても良いのではないかえ……」
白狐の言葉に勘解由は頷いて見せた。
そっと幻之介を湯から上げると、大助が乾いた浴衣越しにその体を受け取った。次々とかけては外される数枚の浴衣。幻之介の体が冷えないようにそれは手早く行われた。誰が声をかけると言うでもなく、黙々とそれは行われたのであった。濡れた幻之介の頭髪も、何度となく乾いた手拭いで水滴が拭き取られていくのである。
何度目かの浴衣の交換の末、幻之介の体は囲炉裏端にのべられた布団の上へと横たえられた。誰もが暖められた室内でうっすら汗をかいていたのだった。
それぞれが後片付けを終えると、幻之介の傍へと腰を降ろしていた。それこそ、車座になるように――。
しんと静まり返った室内。その場に居た全員が見つめる中で幻之介の瞼がゆっくりと持ちあがった。
いまだ、虚ろな表情のまま幻之介はあたりを見回していた。
「幻っ、わかるか?」
心配そうに言葉をかけた勘解由。全員が不安げな表情のまま返事を待っていた。
「あの……、何故勘解由様が……。ここは……」
幻之介の言葉に皆が安堵の溜め息を吐き出したのだった。
「もう、山は越えたようだねえ……」
優しげな言葉を吐き出す枕元の存在に幻之介は視線を移していた。
「白菊まで……」
と、言葉を出した途端、幻之介は息を飲んだ。その傍らには、勘解由もいるのである。おろおろとした表情で視線を動かせば、優しい男の手が額に乗せられたのだった。
「もう少し休むが良い。話しは後からでも出来るだろう……」
戸惑う幻之介の瞼を勘解由がそっと指先で閉じさせた。
「みんな傍にいる。寂しくはないだろう、幻。ゆっくり休め……、頼むから……」
殊更に穏やかな勘解由の声が眠りを誘っていく。
「なにも心配する事など在りませんよ、幻之丞様。我らが居りますのでなぁ……」
白菊の声も穏やかであった。
幻之介はゆっくりと頷くと、再びまどろみの中に落ちていった。
幻之介の吐息が規則的になった頃――。男達は顔を見合わせる様に目配せしていた。
「旦那、俺らはこれで……」
と、四人がその場を立とうとした時、
「待てや……」
勘解由の低い声が響いたのだった。
びくりと身を震わせた男達。彼らですらも、今までこんな声は聞いた事がなかったのだ。
「あの……」
しどろもどろになりながら、互いの顔を見合わせる男達。
彼らに視線を向ける事もなく、勘解由は言葉を続けていた。
「まあ、座れや。丁度いい事だしな……」
ゆっくりと男達に視線を向ける勘解由。「聞きてえ事も出来たしなぁ」と、地を這うような低い声。
男達は怯えながらその場に座った。
「何を今さら聞きたいと言うのだ」
寝息を立てて横たわる幻之介の枕元で白菊が毛繕いをしながら問うてきた。
「いつから知ってたんでえ、おめえ等はよう……」
互いに顔を見合わせるだけの男達に替わって白菊が答えていた。
「それを知ってどうする?」
「どうって……」
言葉に詰まったのは勘解由の方であった。
「それを知って、お前の幻之丞様に対する気持ちが変化するとでも言うのかえ……」
そう聞かれて、幻之介の顔を見つめたまま勘解由は黙ってしまった。
「それとも、こやつらの方が先に知っていたと言う事の方が気にかかるか?」
「……」
そのやり取りをはらはらとした面持ちで見つめる男達。
「まあ良い。気になるのならば教えてやろう……」
笑いを堪えた白菊の声音に、勘解由はついっとそっぽを向いたのだった。
面白い男だねえ――、と白菊は身を翻して勘解由の膝の上へと飛び乗った。
膝の上から見上げて来るその視線を勘解由は無言のまま受けとめた。
「お前に賭けても良いのだろうかねえ……」
「何の事だ……」
「まあ、お前の知りたかったことだからなぁ。……ここに居る輩が幻之丞様の事を知ったは全くの偶然じゃえ」
白菊の言葉に、男達は激しく頷いていた。
「あれは、ここから一人の男が逃げ出した後の事じゃ。逃げた者は命を落とし、残った者は鬼に魅入られた――」
白菊は勘解由の膝の上で座り直すと、その見事な尾をゆったりと振り始めた。
「その上で己の身の上を話したのは幻之丞様自身だったがな……」
「何故こいつ等には言えて……」
俺には――、と言葉をそこで止めた勘解由。
「そらあ、旦那に嫌われたくねえから……。旦那の傍に居たかったから……、だろうさ」
云ったのは大助であった。
「幻は確かに俺達には変わることなく接してくれた。他の奴らのように差別する事もなく……。でも、それだけだ。幻がいつも見ていたのは旦那の事だけ……。でも、俺らはそれで良い。共に生きていく事は出来なくっても、一緒に滅ぶ事は出来るさ。幻が人としての生活ができなくなっても、俺達だけは最後まで一緒に居てやりてぇ……」
「それで、死んでも構わねえ……。俺達にとっては一番大切な存在なんだ――」
男達は口々にそう言った。
「旦那の立場から言ってもなぁ、必ずしも幻之介と一緒にいられるわけじゃあねえだろうし……」
と、続けたのは与太郎だった。
「それに、幻の親の一件もあることだしなぁ……」
与吉の小さく呟いた声に、勘解由の両目は大きく見開かれた。
「あれはっ、あの件は……」
と、言葉を続けられない勘解由。
「あの若様たちの事もあるしな……。旦那にはイザと言う時の『しがらみ』ってヤツが多すぎるだろう。旦那の代りにはなれなくとも、多少の支えくれえにはなあ……」
佐吉の言葉が更なる追い打ちをかけて来るようだった。
思いつめた様な表情のまま、勘解由はただ幻之介の寝顔を見つめ続けていた。
「我らは、どんな事になろうとも、幻之丞様に付いて行く。その身が鬼に変わった後でもな……」
云い切った白菊の瞳が妖しく光ったのだった。
「じゃが、お前にはそれは出来ぬ事。その意味が解るか?」
「なぜ、俺にそれが出来ねえって云い切れるんだっ」
怒鳴るように問う勘解由を、膝の上の存在が優しげな表情を浮かべたまま見つめていた。
「だって、お前も鬼じゃもの――。それに、あの方から何か言われなかったかえ……」
優しげなその言葉に、勘解由はいつぞやの事を思い出していた。
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