「幻之介殿っ、叔父上の傍へっ」
素早く幻之介の前に立ったのは松次郎。
「これまた生きの良い奴が出張ってきやがったなあ。……俺はこっちの兄ちゃんでも構わねえさ」
別の男が狂気に似た欲望を漲らせた表情のままで言った。
村人たちも先の声を聞きつけて、得物を片手に飛び出していたのだが、無法な侵入者達は一向に気にする気配もなかった。
じりじりと距離を詰めてくる無法者たち。
「幻之介っ。おまえは女子供らと社の中に居ろっ」
背後から勘解由の声。
ぐいっと肩を掴まれて、勘解由の背後へと押しやられた。
「多少はやりそうな奴が居たか……。こうじゃねえと、面白くねえからなぁ」
無法者達の間をゆっくりと進んでくる男が一人。どうやら、頭のようだった。その手に持つのは剛剣と言ってもいいほどの長さと太さ。それを軽々と片手で扱うさまは、流石の勘解由も眉根を寄せた程。
「幻っ、早くしろっ」
勘解由が叫ぶのと、男たちが散開するのはほぼ同時だった。
男たちは相当の手だれ。集団で襲いかかる村人達等も簡単にあしらってしまう。あちらこちらから、傷付いた村人たちの悲鳴が上がった。
勘解由も、頭と思われる男ともう一人に阻まれ、身動きも出来ずにいた。松次郎も村人を庇いながらでは思うように動けずにいたのだった。
無法者達は逃げ惑う村人達をなぶる様に切りつけていく。
幻之介は勘解由に言われたように社の前で次々と逃げ込んでくる村人たちを招き入れた。が、その目の前で母親の手に引かれていた幼子が転んだ。そのすぐ後ろからは気塗られた刀を振り回す男が近付いていたのだった。
幻之介は思わずその子供の傍に駆け寄り抱き起こした。ちょうどその時、男が幻之介の存在に目をつけた。
舐めまわすような視線を幻之介に投げつけてきたのだ。
幻之介は咄嗟に子供を自分の後ろに押しやった。
男はすぐ目の前。
幻之介の体は無意識のままに動いていた。
幻之介の胸元に男の手がかかった時――。キラリと刃が光った。
前のめりに倒れ込む男。その首からはおびただしい血が噴きあがり、幻之介を濡らしていた。幻之介の手には魔王から手渡された脇差しが握られていた。
むしろ驚いていたのは幻之介自身。初めて人を斬りつけたその感触に、只、呆然と立ち尽くしてしまっていた。
仲間が倒れた事に気がついた別の男が幻之介の方へと近づいてくる。
「可愛い顔して随分な事をするじゃあねえか……。その位生きが良いんなら、こっちも遠慮することはねえなあ」
刀身に付いた血糊を舐めながら、幻之介の方に歩み寄ってくる男。
だが、幻之介は動く事も出来ず、ただ血塗られた己の手を見詰めていただけだった。
ゆっくりと振り上げられた刀。
その煌めきに魅せられたかのように、幻之介は男の方へ視線を向けた。
「幻之丞様あぁっ」
聞き覚えのある声が幻之介の耳に届いた。
と、次の瞬間――。幻之介は後ろに倒れ込む衝撃を感じただけだった。
自分の上には一糸纏わぬ女体が覆いかぶさっていた。
「幻……之丞……様ぁ……」
弱々しい声をさせた女が、幻之介を見詰めていた。
肩から背にかけて一条の真紅の線。そこからは紅い水が流れ出していた。
「邪魔するんじゃねえ、この女っ!」
目の前の男が幻之介の上に乗った女体を足蹴にしようとした時、真黒な影が二つ過ぎったのだった。
男はその一方に蹴り倒された。
もう一つは幻之介の傍に近づくと、すぐに傍らにある物を落とした。
倒された男はすぐ様駆け付けた松次郎が仕留めていた。
幻之介は、そっと体の上の女体を傍らに横たえると、その影が落としたモノを握り締めたまま立ち上がった。
「幻……之介殿……」
その姿に、松次郎は息をのんだ。
幻之介の瞳は真っ赤に染まっていたのだ。しかも、その手の中のものは炎を吹き上げている。
ゆっくりと歩み出す姿。
その異様さに、無法者達の動きも止まった。
次の瞬間――。幻之介の全身を炎が包んだ。浴びた返り血も一瞬で蒸発した。その炎が引くと、幻之介の手にしていた物が炎を纏った剣へと変化していた。
艶然とした笑みを浮かべる幻之介。
「許さぬ――」
一言、幻之介は呟いた。
同時に村の周囲からは獣が唸るような声が響き始めた。
その変化に気を取られた頭の手から突然、血吹雪が噴きあがった。勘解由が一瞬の隙をついて、剛剣を握った腕ごと切り落としていたのだ。
呻き声をあげて蹲った頭領の姿に、残された無法者達はうろたえた。幻之介の異様な姿にも気押され、にじりにじりと後退し始めたものだ。
「逃がさぬっ」
幻之介は言うなり、炎の剣を大地へと突き立てた。そこから地面を滑るように炎の大蛇が無数に走り出した。男共の退路を塞ぐように、それは大地を焦がしていくのだ。
獣の匂いが急に強くなった。逃げ遅れた村人たちも、じっとその光景に目を奪われていた。現れたのは無数の山犬。その一匹が、怪我をした村人を無視して幻之介の目の前に立った。
舌舐めずりをする山犬達。その視線は全て、炎に囲まれた男たちを見据えていた。
『狐の倭子よ――。この獲物はわれらに渡してもらおうか』
幻之介だけに聞こえる声。
『あやつらには相当の貸しがあるんでな……。我らの領地内で――。仲間だけでなく、白妙の婆をも手に掛けやがった。盟約を破られたまま、黙って見過すわけには行かねえっ』
ちらりと幻之介は声の主に視線を向けた。
『それに今のお前では奴らを屠るほどの力は出せまい? 完全に覚醒せぬままではな……』
幻之介は黙ったまま、身動き一つしなかった。その間にも山犬達はじりじりとその輪を狭めていく。もはや完全に無法者達は囲まれようとしていた。その群れの中からそっと離れるように、勘解由は傍のけが人を引きずってきた。
『倭子よ――。さあっ、獲物を渡せっ』
周囲の人間たちには幻之介の目の前の山犬が吠えたように見えただけだった。
すっと、大地から引き抜かれた剣。
炎の蛇が消えた――。
と、同時に無数の山犬が男たちめがけて飛びかかっていた。
『それで良い、倭子よ――。おまえの恨みも合わせて我らがはらしてくれようぞ』
踵を返して群れの中に飛び込む山犬。
無法者達の絶叫が飛び交った。
犬達は人のあらゆるところに噛みついていた。そして、いつしか男共の悲鳴も聞こえなくなっていった。村人たちは怯えたように耳を塞いで震えていただけだった。
幻之介はその光景を無表情のまま眺めていた。ただ、じっと立ちつくしたままで……。
「幻之介……」
勘解由がその視線を塞ぐように前に立った。
ゆっくりと名を呼ぶ男の方に顔を向けた幻之介。その手からは、剣が音をたてて落ちたのだった。
「けがはないか? 幻之介」
いつもと同じ労わりを見せる勘解由に、張り付いた幻之介の表情が緩んだ。
「白菊が……、私の…為に…」
涙を浮かべ、胸元に飛び込んできた幻之介の体を勘解由は力強く抱きとめた。
「白菊って……」
勘解由は幻之介を抱きしめながら黒馬二頭の見下ろす女体に視線を向けた。
黒馬たちは代わる代わる一糸纏わぬ女の背を舐めていた。ぐったりとした、血の気のないその肌の色。
その横に屈みこんだ松次郎が大声で勘解由を呼んだ。
「叔父上っ!早くっ。まだ、息があるっ」
その声に幻之介ははっとした表情で顔を上げた。
一瞬だけ、勘解由はより強く幻之介の体を抱きしめると、すぐにその体を離した。
「ぼやぼやするな、幻之介。助けられるもんなら、手を尽くすんだっ」
その言葉に、幻之介は頷いていた。
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