白狐を相手に遊び回っていた子供達。その姿を男は眉根を寄せたまま見つめていた。何か言いたげな表情のようだが、目の前の幻之介の事が気になって言葉を出せずにいるのであった。
幻之介は言葉も表情もなく、ただ薬臼を挽いていた。
子供達の声に混じってそのゴリ……、ゴリ……と薬草の潰されていく音だけが響いているのだった。
ひそひそと続けられている二人の会話。幻之介は背中越しにその様子を伺っていた。手元の作業もお座なりになっている事にも気が付かない程であった。
「……ちゃん、兄ちゃん」
揺すられる様な感覚に幻之介は顔を上げた。
心配そうに覗く二対の瞳。
「恐い顔している……。どっか苦しいのか?」
幼子が心配そうに声をかけて起こしたのだった。
「大丈夫……。何ともないよ……」
幻之介は急いで笑顔を取り繕うと、妹の方をその膝の上に抱き上げた。
おもむろに胸元から笛を取り出した幻之介は、それを唇にあてた。静かに奏でられる旋律。
「綺麗な音……」
幻之介の胸元の存在は、体を預ける様にしてその音色に誘われていった。兄の方も、何時しか幻之介の背中に凭れかかるように、舟をこぎ始めたのだった。どうやら白狐とのじゃれ合いの疲れが出たらしい。
長めの一曲を吹き終えた頃には、二人共安らかな寝息をたてていた。
とっくに話し合いの終わっていた勘解由は、足音も立てずに近づくと、幻之介の背中で居眠りをしている幼子を抱き上げた。急に軽くなった体に振り返った幻之介は、勘解由の表情に苦笑いを見つけたのだった。
「幻之介殿……。良いか?」
正面からは、松次郎が声を潜める様にして言ってきた。幻之介の胸元の存在を優しげな手つきで抱き上げると、勘解由共々奥の間へと消えていったのだった。
表に残されたのは二人。
正面に座っている男も、何やら夢心地のような表情を浮かべていた。
「あの……」
幻之介の声掛けに、男は、ハッとしたような表情を見せた。夢から急に覚めた様な照れくさそうな表情を、顔を染め上げる事で示して見せたのだった。
「あっ……、いや……、何だな。どうやら俺もあのガキ共と同じで眠くなっちまったようだ。なんて云うか……。若さんの笛の音聞いてるとさ……
頭を掻きながら、照れくさそうに纏まりのない言葉をつらつらと話すのだった。
「じゃあ、もう帰って休むか?」
背後から棘のある口調で勘解由が言ってきたものだ。その傍らには松次郎の姿も……。
「旦那、そんな怖い顔しなくてもさあ……。別に悪いって云うんじゃなくて、なんて云うか……。もっと聞いて居てえって云うか……」
しどろもどろになりながら言い訳をする男。その表情を見ていると、振り返らなくても勘解由がどんな目つきをしているかなど容易に想像できるのであった。
溜息混じりに、幻之介は笛を胸元に仕舞った。
「私も、少し疲れました。今日はこの位で……」
と、幻之介はゆっくりとした動作で立ちあがった。
(勘解由様――。怒っておられる……。でも、何故……)
振りかえらずとも、伝わってくる雰囲気がそれを教えてくれた。
殊更、勘解由の方は見ないようにつとめて、出しっぱなしになっていた道具を手早く片づけ出した。
その様子を横目で眺めるだけの松次郎。
「では叔父上、手筈通りに……」
言うと、松次郎は男に手を貸して立ち上がらせているところだった。
「松……、これ持って行けっ」
いつの間にか傍に立っていた勘解由は、幻之介の作った傷薬を放り投げていた。
見事にそれを受け取った松次郎は、その小さな器を男も胸元に押し込んだ。
ではっ……、と短く言葉を残すと、男を連れて松次郎は慌ただしく社を出て行った。
二人の姿が見えなくなった途端に、背後から勘解由が幻之介を抱き締めて来たのだった。
「……あのっ」
突然の事に幻之介は驚きを隠せないまま、その体を強張らせたのだった。
「どうした? ……幻之介」
あからさまに不機嫌丸出しの勘解由の声音。
幻之介は心底怖いと想った。
首筋にかかる吐息に、思わず声が漏れそうになるのを飲み込んだ。
「俺に触れられるのは気に入らねえか?」
その問いかけに、ただ頭を振る事しか出来ない幻之介であった。
「……なれば構わねえだろう」
言いながら、勘解由はネットリと幻之介の首筋を舐め上げた。
「ダメえっ……。ここ……では……」
咄嗟に幻之介は身を翻して勘解由の腕の中からすり抜けたのだった。
さも面白くなさ気に勘解由は舌打ちして見せた。その音に、幻之介は潤んでしまった瞳を床に向けた。
「だって……、ここには……」
ちらりの奥の間を示す幻之介の視線。
「……。仕方ねえなあ。戻るぞ、幻之介」
苛立っているのが解るほどの相手の声音。
「あのっ、これだけ……」
足早に出ていこうとする男を呼びとめた幻之介。手の中に残っている生薬を見せた。それは、奥の間に横たわる母子達の為に調合したものであった。
「……早くしろ。表にいるから」
勘解由はそれだけ言うと、社の扉を開けて出て行ってしまった。幻之介は、肩を落としながら、残っている道具もそのままに奥の間へと消えた。
山小屋に戻る二人。馬達の吐息と蹄の音だけが響いていた。
先行する勘解由の後を無言のまま幻之介はついていった。気分は重く、落ち込んでいたのだ。
何故勘解由が怒っているのか、幻之介には理解できなかったのである。それよりも、勘解由と松次郎のあの親密そうな会話が気がかりであった。
「いつまでそうしているんだ、幻之介」
勘解由の声に、幻之介はすでに山小屋にたどり着いていた事を知ったのだった。すでに、荒駒から荷も下ろし終えていた勘解由。浮かない表情の幻之介を覗き込む黒馬二頭の瞳。幻之介も、それには苦笑を浮かべるしか出来なかった。
「幻之介、体の調子でも悪いのか?」
心配そうに声をかけて来た勘解由。
幻之介は、ふとその声音にいつもの優しさを見つけて、思わずポロリと涙を零してしまった。
優しく伸ばされた両腕に取りすがるようにして幻之介は黒馬から降りた。抱き留められた腕の中は、いつもと同じ優しさに溢れていた。幻之介はそのまま男の胸に顔を埋めた。その頭を優しく撫でつける男の手。
「どうした? 幻之介」
心配そうな声音で再び問いかけられた。
「……ごめんなさい。私、何か勘解由様を怒らせてしまうような事を……」
涙声になりながらも、そこまで言うのがやっとであった。
「まだ日が落ちる前とはいえ、流石に冷えて来るな……。まずは、中に入ろうか?」
幻之介の言葉には返事を返す事もなく、勘解由は幻之介を小屋の中へと誘った。
明確な答えも貰えぬまま、幻之介は囲炉裏端へと腰を下ろした。
勘解由自身は決して声を荒げると言うわけではない。が、いつもとは雰囲気が違っているのである。何が――、と言葉にする事など出来ない幻之介であったが、やはり気持は落ち込んでしまう。社の中での二人の親密ぶりも気にかかるのだった。
(あの二人の間に割って入る事など出来ない……)
何度目かの幻之介の溜め息に勘解由は顔を上げたのだった。
囲炉裏端では殆ど勘解由の独壇場であった。兵糧での飯の支度はお手の物。手際よく、芋がら入りの粥を作っていくのだった。幻之介は、ただそれを眺めているだけ……。その合間に吐き出された溜め息の音に、勘解由は顔を向けただけの事であった。
「体が辛いなら横になっていて良いぞ。もう少しで飯も出来上がる事だしな」
声音だけは優しさを含んでいた。
「……いいえ、大丈夫ですから」
涙を零さずにそう告げる事が出来たのは奇跡に近かった。しかし、表情も少なく見つめて来る男の瞳を視界に捉えた瞬間、幻之介の我慢も限界が訪れた。
頬を伝い落ちる雫もそのままに、幻之介は目の前の男に取りすがっていた。
「私は何か間違いを犯してしまったのでしょうか?勘解由様っ」
胸元で泣き崩れる幻之介の体を抱きしめながらも、勘解由は困惑していた。
「間違いって……、何でえ幻之介」
逆に問いかけたのは勘解由。
「だって、勘解由様は怒っておられる……」
幻之介のか細く消えていく言葉尻。代わりとばかりに、グズリと鼻をすすり上げているのであった。
「別に怒っている訳じゃねえ……」
苦虫を噛み潰したような表情のまま、勘解由は幻之介の体を優しく撫でさすっていた。
「でも……」
「まあ、何だあ。確かに気分が良くねえって云う事には間違いはねえがな……」
その言葉に腕の中の若者の体が強張りを見せた。勘解由は俯き加減のその顔を強引に向けると、そのまま濡れた唇に貪り付いていたのだった。突然の事に息継ぎも出来ないまま苦顔を見せる幻之介に構う事無く、そのまま口愛を楽しんでいた。
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