怪我の手当を終えた子狐を、勘解由は己の布団の上に横たえてやった。
少しでも離れると、寂しそうに鼻を鳴らして見つめてくる。その、甘える様な仕草が愛おしく感じられ、爺が止めるのも聞かずに、己の部屋に連れ込んだのであった。そばに体を横たえれば、添え木の当てられた足を引きずって、勘解由の懐に潜り込もうとする。それを勘解由は、引き寄せてやった。すぐに子狐は眠りの中に入っていた。
(せめて、呼び名ぐらい、つけてやんねえとなあ)
勘解由は、子狐の吐息に合わせるように、己も眠りの中へと落ちていった。
野生の生き物は回復力が早かった。ひと月を待たずに、子狐は自分の足の添え木を引きちぎり、勘解由の後を追いかけまわすようになっていた。すでに、屋敷の使用人達には見慣れた光景となっていた。初めは呆れていた爺ですら、いつの間にか子狐の食事や何だと世話を焼きたがる。いつの間にか、屋敷の人間には警戒すら見せない程になっていた。
「お前なあ…。獣が人間に警戒心持たなくなったら、まずいだろうが…」
勘解由のそういった呟きにも、首を傾げておどけて見せるほどになった。
半年ばかりも過ぎた頃であっただろうか。荒々しい馬の嘶きと共に、これまた荒々しい息づかいの本家からの使いが訪れた。
「爺、なんだってこんな気性の荒いの引き連れたんだい。」
お供の若侍二人が黒馬一匹に翻弄されている姿を屋敷の戸口から眺めるようにして、勘解由は見知った古参の老兵に声をかけた。
「今回ばかりは、逃がしませんよ若。…御館様からの命令ですからな」
「親父殿が何だって?」
「ともかく…。ちょっと、中でお話を…」
勝手知ったる内部事情。勘解由は、爺に引きずられるように屋敷の中に連れ込まれた。
白湯をすすって一息ついたのか、勘解由の前の老兵は、伝達事項とばかりに淡々とした口調で告げた。
「で、俺に…。その甥っ子の元服に立ち会えってことかい。…義兄じゃがおるのにか?妾腹の俺にゃ関係ねえはなしだろうが…」
「…昨夜、…息を引き取られました。かの、戦傷が元で…。ですから、後見に…と申し上げましたでしょう。それでなくば、御館様は貴方様を嫡子にあげるおつもりなんですからね。」
「…それは、勘弁だな」
「だから…、です。」
「…それと、あの荒馬…。何の関係があるってんだ。…それに、なんでえ、あの鎧櫃は…」
「御館様のご意向です。…いつまでも、こんな風来坊みたいな生活はさせておけませんからね。多少、気は荒いでしょうが…、軍馬としては…」
と、中庭から先の若侍たちの悲鳴と、馬の嘶き。荒々しい蹄の音ときては、状況が容易に想像できる。
「…あれで、…多少って言えんのか?」
爺は、肩をすくませながら、中庭の方に歩み出た。そのあとを、勘解由は苦情混じりに追う。
土埃激しいなか、黒馬は、二人の若侍を振り払うかのように、激しく首を振り続けている。吹き飛ばされた一人が爺の姿を見つけ、助けを求めるようにその足元にすがりつく。
「ご家老様…、無理でございます。…あの状態に鞍のせるなんてえ…」
その姿に、流石の爺も頭を抱えた。
「多少って気性じゃねえなあ。ずいぶんな荒れ駒じゃねえかよ」
腕組みで、そんな爺を見下ろす勘解由。その背後から、真白き影が躍り出た。
「おい!ちびすけ。あぶねえって…」
勘解由の言葉を無視するかのように、暴れ馬の上にひょいっと飛び乗った白狐。手綱の代わりとばかりに、馬の鬣に喰らい付く。くいっと狐が顎を引いたかと思うと、馬は前足を高々と持ち上げて大きな嘶きをあげた。
振り落とされる…、と誰もが思った次の瞬間には、馬は大人しく狐をその背に乗せたまま。先ほどの暴れっぷりがまるで嘘のようだった。
これは、機とばかりに、先ほどの若侍が鞍を片手に近寄ると、馬は馬で威嚇とばかりに歯をむき出しにして、それを近寄らせない。
「ちびすけの方が、馬扱いに長けてるとはなあ…こりゃあ、いいや」
勘解由はそんな姿に大笑い。あきれ返ってその姿を見上げる爺からは、溜息が零れる。
そんな状態の馬から、飛び降りた白狐は、今度は勘解由の裾を銜えて、引っ張り続ける。
「なあに、俺にやれってか?」
狐に向かって勘解由が言うと、まるで頷くような仕草を見せた。
「ったく、しゃあねえなあ…。どれ、鞍ぁ貸してみろ…」
脅えきった若侍から、鞍を受け取ると、勘解由は黒馬の上にそっとのせた。
「なんでえ、大人しいもんじゃねえか…」
勘解由が馬の顔をそっと撫でつけると、馬は甘えるかのように顔を摺り寄せてきた。
そんな様子に、一息つけたのか、爺はそそくさと、帰り支度を始めた。
「では、お伝えしましたからな…。刻限には、くれぐれも遅れないようにして下さいませよ。」
不甲斐ない若侍を叱りつけながら、爺は勘解由の屋敷を後にした。
「受けるつもりはなかったんだがなあ…」
一人つぶやきながら、勘解由は馬の上に跨った。
先導するかの様に、白狐は勘解由の前を走る。まるで真っ白な、風のような速さで。その後ろを、一定の距離を保ったまま、勘解由を乗せた黒い風が追いかける。そう、それはまさに風のようであった。勘解由の意思とはお構いなしに、白狐の後を追い続ける。
(まあ、別に良いさなあ…。目的が有るわけでもないしなあ…)
手綱こそ、勘解由の手の中にあるが、走るのはまるっきり馬任せ。だいたい、手綱を引いたところで、一向にいうことを聞くような気配などなかったのであった。白と黒との二つの風は、縦横無人に疾走する。野生に戻ったかのような狐の走りに、事も無げに追巡する荒れ駒。
(確かに軍馬としちゃ最高さね。…これで、言う事さえ聞いたらの話だがな…)
一人、勘解由は思いにふけった。思いもかけない遠掛けとなった二対の風は、次第にその速度を落とし始めた。
「って、ここは…」
ある意味、見覚えのある景色。…そう、ちびすけを拾った、あの惨劇の場所。二つの風は、その一角で歩みを止めた。
日当たりの良い、山肌の一角。勘解由は馬を降り、その場所に腰を据えた。そして、白狐もその傍に蹲る。荒駒は、手近の草を食み始めた。
「おめェ、ここに来たかったのか…」
白狐に向かって勘解由が声をかけると、同じ姿勢のまま、豊かな尾を振り続けた。一人と一匹の間には、不自然に立っている縦長の石。
そう、かつて勘解由が神子衣裳の幼子を埋めた場所。あの時と違うのは、あたり一面に緑が覆い尽くしている、という事だけ。あまり、居心地の良い思い出ではない。が、あの惨劇の面影は、すでにこの地には見当たらなかった。そう、人間が住んでいないというだけの話で…。
言葉もないまま、勘解由はその場に寝転んだ。野花の香りに包まれながら、木々の間から覗く青空を眺めていた。
どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。長いようで、短いと思える不思議な感覚。山の奥の方から響く、獣の遠吠えの様な声を耳にして、初めて勘解由は日が落ちかかっている事に気づいた。
かさっと音をさせて、白狐は立ち上がる。
「仲間の所に…、戻るかのか」
直観めいた感覚。勘解由は白狐を引き寄せた。
「達者でな…」
勘解由は己の首からぶら下がっていた肌守りをはずして、目の前の白狐の首に結びつけた。白い毛の隙間から、僅かに見え隠れする紅の小さなお守り袋。
「お袋の形見なんだ…。おめえにやるよ。…あの子の代わりには、なんねえかも知れねえがな…」
抱きしめながら、勘解由は白狐の耳元に囁いた。再び聞こえた遠吠え。狐の耳はそれに反応を示した。
手を放してやると、ゆっくりと後ずさる様に離れていく。三度の遠吠えに、狐は山の奥の方へと走り去った。立った一度だけ、勘解由の方を振り向いて…。
帰り道、荒駒は驚くほど素直に勘解由に従う。まるで、勘解由の気持ちを汲んでいるかの様に、ゆったりとした足取りで、主を屋敷まで運んだのだ。
「ずいぶん、ゆっくりとした御戻りでえ…。あれ、白ちび…、どうしたんです?」
勘解由の傍にいつもひっ付いていたその姿が見えないと、迎えに出た使用人の一人が声をかけてきた。
「ああ…。あれは、山に帰っちまったよ。…仲間ん所にさ…」
「…そうなんで」
わずかに肩を落としたような主に、それ以上の言葉をかける事は出来ない使用人たちであった。
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